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2010年10月 3日 (日)

10月3日は登山の日 その1

Tanzawafuji 誰が決めたか登山の日

私もちょっと歩いてきました
  

  

  
やはり登山の日には歩かないといけません。思い立って出掛けました。朝の丹沢湖からは一週間前に登った富士山が覗いていました。今日あたりも多くの方が登っていることでしょう。

Aokuzure

神奈川県は西丹沢、玄倉(くろくら)川の上流、ユーシン渓谷を覗いてみようと言う気になりました。このユーシン渓谷は平行する林道がトンネル落盤の恐れがあるために現在人車共に通行止めになっています。所々がゲートでロックアウトされていますが、そのたびに沢へ降りて高巻きという繰り返し。沢へ降りればヒザまで浸かって横断します。正直言って私は勢いで行きましたが、ダメだったら引き返すのが正しい行い。反省すべき点があることは認めますです。

Kurokuragawa

玄倉川には悲しい歴史があります。1999年8月14日、この中州でキャンプをしていた13人が濁流に呑まれて亡くなりました。ちょうどこの日、私は2家族で長野県の駒出池キャンプ場でファミリーキャンプをしていて、土砂降りの雨のなか撤収して家路に急ぐ途中でありました。彼らは家に帰れなかったんですね。
事故から一ヶ月後、家族皆で丹沢湖を訪れ線香をを手向けました。ここで何が起こったのか、なんでそうなったのかを子供達に説明しました。当時小学生だった子供らも理解してくれたものと思っています。

登山もキャンプも自然と共にある遊びです。自然の力の前には人間などはあまりに無力な存在。でも人は考え判断し行動することができます。正しい判断は自然の力に対峙しうると思うのであります。

ちょっと主題から外れてしまいました。すいません m(_ _)m

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コメント

この流された事故から、もう10年以上も経つんですね。
私にとっては忘れられない位、強烈な出来事でした。

FibyさんのUP動画は顔をぼかしてますが、当時の直後のニュースは顔も鮮明に写っていました。
また、流される瞬間も放送されました。

当時、奥山で雨が降ってるにも関わらず、忠告も無視してこの様な惨事になったと記憶しています。

ども、花の五六八さん、

> この流された事故から、もう10年以上も経つんですね。
> 私にとっては忘れられない位、強烈な出来事でした。

当時この事故のインパクトは相当のものでした。おっしゃるとおり再三の注意にもかかわらず中州でのキャンプを続けた被災者の方々に冷たい視線が投げられたのも事実です。
でも1歳の赤ちゃんを含め、子供達にはなんの罪もありませんでした。悲しい出来事でしたですね。

> また、流される瞬間も放送されました。

この流された瞬間の映像がかなり物議をかもして、その後の再放送ではカットされていましたね。youtubeでもその部分だけの映像ファイルがアップロードされています。あまり気持がよいものではありませんが・・・

他山の石とは言えない身近さがある事件だったので、私も自戒の念をもって受け取った出来事でした。
被災者たちは翌日にキャンプ地の近くの温泉宿に泊まる予約をしていたのだそうです。どんなに濡れても翌日は温泉宿でゆったりできると考えて無理をしてしまったのかもしれません。

多くのキャンパーに警鐘を鳴らした事件でした。

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