廃道の先にあったものは・・・
今週末は土曜だけ休みという流れのために中途半端な動きしかできない。まぁそんなときは地元を徘徊しようと思い立ちちょっと歩いてみました。
今回は三浦半島の最高峰、大楠山(おおぐすやま)を目指してみます。この山は何度となく登っているので今回はGPSを見ながらバリエーションルートを探して25000分の1地形図には載っていないルートを探してみます。
なんとなく大楠山方面へ向かっているような地図に無い踏み分け道を歩いていくと、例によって獲れないワナが仕掛けてありました。ハンターマップで見るとここは鳥獣保護区。タイワンリスは保護の対象ではないんですな。途中の大きな池には鴨がいっぱいいました。あまり美味しくないヒドリガモにホシハジロってところ。撃ってはいけないところにはしっかり居るものです。
だんだん踏み跡が怪しくなってきて藪こぎに入ります。まぁそのくらいは覚悟の上です。
藪を抜けるとあれま、なんと舗装路に抜けました。でもどう見ても今は車の往来が無い感じです。その舗装路を100m程昇っていくと・・・だだっ広い草原のような所に出ました。おぉ、なんとこの景色を見て遙か昔の記憶がもりもりと・・・
この辺の山々はそのほとんどが某大手電鉄系不動産会社の持ち物でした。山林の地価が二束三文だった頃に、この会社が将来を予見して買い集めた土地は三浦半島の広範囲に及んでいたのです。今から30年以上も前の話ですが、横須賀市は大きな自前のゴミ処分場を持っておらず、この不動産会社から土地を借りて人里から離れた谷にゴミを埋め立てては残土を被せてサンドイッチにするということを繰り返していたのです。ひとつ谷が埋まればまたひとつと谷をゴミで埋め尽くしていったのでありました。
学生だった当時、2トンダンプを運転して産廃をここへ運ぶアルバイトをしたことがあります。2トン車一台満載で市へ払う持ち込み料が5000円だったのを覚えています。進入路を延々と走った後にたどり着いた処分場は、まさにこの世の地獄さながらの光景でした。
当時は分別収集なんていう考えすら無かった時代。生ゴミから粗大ゴミ、産業廃棄物までともかくあらゆるものが捨ててありました。生ゴミが発酵して自然発火し、あちらこちらから煙が立ち上がり周囲温度は汗をかくほど。鼻が曲がりそうな異臭が漂い、残飯を求めてカラスとトンビの大群が空を覆い尽くすというものすごい状況は今でも鮮烈に覚えています。
この雑草が生い茂る広大な草原はその谷のひとつ。今では当時の片りんはうかがい知れませんし、そんな事実を語る人もそうはいないでしょう。でもこの下にはゴミと残土が幾層にも積み重なっているのです。今とは異なる時代背景があったにせよ、自然に対する重大な背信行為が当時は確固としてあったのですね。
GPSの地形図から推測して10ヘクタールはあろうかというような広大な平地ですが、ゴミの上に立つ不安定な地盤のために利用することもできないのでしょう。ただただ雑草が覆うばかりです。
山歩きをするつもりが予期せぬものを見つけてしまいましたです。
三浦半島のなかの悲しい歴史の暗部ですね。感慨に浸った後は大楠山を目指します。
以下続く・・・
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