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2020年2月 8日 (土)

人の死について思う

今回はちょっとシリアスに

  
人間の尊厳について考えてみました

生きとし生ける者全てはその先に死という終末が待ち受けている。個々に異なるのはそこに至るまでの道のりが長いか短いかの差だけだ。人は人として生を受けたならば人として成長し生活し最後に至る。でも最後まで人は人なのである。

人は人生のピークを迎えた後に老いという名の劣化が始まる。最後は天寿をまっとうし自然死に至るのが理想の人生であるのは勿論だが、人が人であることを止めてしまうのは、なにも天寿に至るまでとは限ったものではない。世の中には脳死という状態があり、植物人間などという言葉もある。つまり身体の一部機能は動いているが、人であることの存在が若干希薄になってしまった状態を言うのではないかと思っている。さりとて心肺機能が動いている限りは生命は維持されており、決して当人が人であることを止めてしまったわけでもない。現代医学は死を回避するために様々な手段を講じ生命の維持に努める。そこに当人の意思が関わっていなくとも・・・

肺が酸素を取り込み、心臓が脈打って血液を送り出すサイクルを繰り返し生命はつながっていく。その生理的サイクルは脳の機能とは別に動く。脳がその機能のほとんどを停止していたとしてもだ。

脳死とはヒトの脳幹を含めた脳すべての機能が不可逆的に回復不可能な段階まで低下して回復不能と認められた状態のことであるという。脳死状態でも医学的処置により生命の維持が可能なのが現代だ。だが脳の機能の回復不可能な停止が全体に及んでいない場合、それを脳死とは言わない。

脳梗塞などで血流が止まり壊死した脳の機能は回復不能だという。つまり現在より良くなる可能性は無いということ。すでに当人に意識が無く会話ができずコミュニケーション不能な状態であっても、脳死と判定されない限り生命の維持は引き続き行われる。

人生の末期をすでに迎えている高齢者の場合は、上記のような状況になったらどう向き合うべきか難しい側面を持っている。生命の維持は本人意思が確認できない状況下でも自然死に至るまで医学的見地から医師の裁量に任される。誰であっても生きようと脈打つ心臓を意図的に止めることは許されない。キリスト教系の総合病院の医師が言っていた。最後は神様が決めてくれる。

そんな状況になったら周囲はその時の心構えはしておかないといけないのだろうと思う。私も然るべきときには、人としての尊厳を保っている間に最後を迎えられるようにしたいものだ。 

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