墜落機のプロペラ
またもやしばらくブログを空けてしまいました。今を取り巻く社会情勢を見ていると能天気な書き込みをする気にもなれず、どうも勢いがいまひとつなのが現状です。社会的人畜無害を標榜とする当ブログですが、世間の空気を読みながらって感じですかね。
その世間様は3年ぶりのコロナ規制の無いゴールデンウィーク。毎年GWなんて縁の無いわたくしも萎れているだけではつまらないので通常の週末休みを使って気分転換へと出掛けます。今回のターゲットは丹沢山の稜線下、キュウハ沢の西側域にあるという第二次世界大戦中に墜落した飛行機の残骸を見に行きます。
丹沢界隈には先の大戦時に墜落した飛行機がいくつか眠っています。1945年終戦以前の周辺空域では首都防衛のための激しい戦闘が有ったが故でしょう。キュウハ沢には日本海軍の爆撃機銀河のエンジンが今でも残っていますし、廃道となった書策新道のセドノ沢上流域にはアメリカ軍の爆撃機B29が墜落していると聞きます。今回探しにいくのもそんな飛行機のひとつ。
5月1日の日曜日、午後から雨予報なのでGWと言えども空いているだろうと予想して丹沢山登山道起点となる塩水橋から踏み出します。しばらくは一般車通行止めの舗装された塩水橋林道を歩きますが途中に工事中ののぼりが。その先はごっそりと道路がえぐれておりました。自然災害による沢沿い林道のダメージはそこかしこに見られます。ここ以外にもすでに沢側のガードレール基礎がそっくり崩落して宙ぶらりんになっている箇所もあり、次はそっちが崩れるだろうなと予想。一般車通行止めの林道を定期的に使うのは丹沢山頂にある山小屋関係者くらいとはいえ毎度の維持補修費で道路管理者のお役所としても頭が痛いところでしょう。
天王寺尾根に合流し、やせ尾根を登った先数十メートルの標高1400m位で適当なところを見計らって左に登山道を外れます。ここからはバリルート、斜面に足を取られながら進みます。
事前に入手した情報で場所の大体のところは予想が付いている。スマホのGPS地形図を見ながら崖地をかわしルートを修正しつつ最終尾根の30度ほどの急斜面を下降していきます。
大きなプロペラが転がっているらしいがなかなか見つからない。後ろに向いて目を凝らすとなんだかそれらしいものが・・・。どうも目に付かず通り過ぎてしまったようだ。
立派な3枚ブレードのレシプロエンジン用プロペラです。アルミブレードは曲がってはいるものの原型を留めており、75年の歳月を経てよくぞ残っていたものだと感心します。近付いて詳細を見てみます。
ブレード先端部には黄色の塗色が有りこれは米英軍機の特徴でもある。また英語でドローイング番号、シリアル番号のステンシル(字板)表記がある。これらのことからこのプロペラは米軍機のものと判断できます。では機種は何なのかというと意外に簡単に絞れます。先の大戦後期に日本に飛来した単発の米軍機は海軍機でF6F、F4UやTBF、陸軍機ではP51くらいです。その中で3枚ブレードのプロペラを持つのはグラマン製F6FとTBFでありこのどちらかのグラマンであると思われます。当時の運用状況からするとF6Fである可能性が高いですね。(一部の初期型F4Uには3枚ブレードのモデルもありますが可能性で推測)
ウィキペディアにあったF6F画像のプロペラ部をよく見るとこの遺物の形状と符合している。恐らくはそんなところでしょう。
可変ピッチプロペラのギアボックスケースにレジン(樹脂)が使われていますがこれには驚いた。なんとアメリカは75年以上前にこれほどの強度を持った成形樹脂を作る技術を持っていたことになる。プロペラトップのスピナーも樹脂製でした。またブレードのピッチを変える可動部への注油ラインを繋ぐゴムホースがあるが、これを絞めるステンレスワイヤーが輝いていた。高純度のステンレス鋼を使っていたのでしょうね。先日も海から引き揚げられたB29の主脚に使っているメッキがまだ煌々と銀色に輝いていた画像を見て、当時のアメリカが持っていた工業技術力の高さに感嘆したものです。
よく日本は先の大戦では物量でアメリカに負けたと言われることが多いですが、工業製品の質という意味でも超えられないものがあったのではないかと推測。足らない分は精神論で賄うのが日本流ですが、それでは賄いきれなかったのは歴史が物語っています。
墜落時には他の部品もたくさん散乱していたのでしょうが、現在はこのプロペラがモニュメントのように残るのみです。周辺にはなにもありませんでした。それがゆえにもの悲しさを一層感じさせます。
職場にいるハワイから赴任してきている日系人にスマホ画像を見せて、ハワイにはこんなものが落ちていないのかと尋ねると、同じように山の斜面にゼロ戦が落ちているよと教えてくれた。似たようなものは世界のあちこちにあるようです。
ヨーロッパではウクライナ情勢に目が離せません。戦争で辛い思いをするのは常に一般市民。日本人が75年以上前に経験した悲劇を現代においてトレースしている理不尽さに虚しさを感じます、ただ現代戦においては兵器の物量や質だけで勝敗が決するわけではない。私は正義を持つ側の肩を持ちたいと思います。
11時頃、予報より早く降り出した雨と共に丹沢山を後にしました。ゴアテの雨具に降り注ぐ雨を感じながら、コロナ禍に翻弄されつつも平和に暮らせる戦後日本に生まれて良かったなと考えつつ、湿った登山道の下山に難儀したのでありました。
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驚きました。丸 という雑誌の別冊が好きで飛行機のメカをよく眺めていたのですが、あの部品が樹脂製だったなんて。編集者も知らなかったかも。スピナーはわかるとして、ギヤボックスはオイルか グリースに耐えて、しかも2000hpの振動と引っ張り、捻れ、熱にも晒される。これを樹脂製にするとは、不思議を通り越してフリーズしています。ゴムパイプが残っているのも不思議です。ホースバンドの代わりのステンレス線も意外でした。黄銅線か銅線でもよかったはず。
ロシアの戦車がドローンで破壊される動画を見て内心喝采していたのですが。しばらくしてから人間の乗った車両だったことに気づいて喜べなくなりました。島国の住民の幸せを感じます、でも後ろめたい、金を出すことは大きな助けのはずですが。
投稿: クラウド | 2022年5月30日 (月) 14時03分
クラウドさん、
こんな不定期ブログを引き続きご覧いただきありがとうございます。
なかなかの玄人考察をいただき恐縮です。確かに可変ピッチプロペラのブレード角度可変用ギアボックスとはいえ、ここのケース部分をレジンで作るというのは驚きです。ただプロペラ回転に伴う減速ギアボックスではないために少しだけ要求条件が低いのでそんな素材発想が生まれたのでしょうね。それでも当時の日本ではできない技です。
ゴムホースはブレード基部の可動部に注油するもののように見えます。耐圧ホースには見えないのでグリスではなくてオイルだと推測します。プロペラシャフト回転の遠心力でブレード可動部に注油するシステムのようです。そのすぐ横ではホースバンドも使われているのでステンの針金巻きは航空母艦内での応急処置的な手当だったのでしょうかね。
じっくり見るとこの種の遺物からは色々なことが見えてくるのが面白いですね。さらっと見てすげぇなぁで終わらせるにはもったいないです。
プーチンの思い込みで始まったウクライナでの戦争ですが、ロシアの社会世論も変調の兆しがあるようで反戦世論が高まることを期待します。ピープルズパワーが国を動かします。
ただ1年後の国境線がどうなっているのかが心配です。
投稿: Fiby | 2022年5月30日 (月) 18時00分
アー、そうだったんだ。パニックてました、ピッチ変更用ギアボックスならケースには力は掛かりませんね。それにしても樹脂製にする為には射出成形機も必要だし、金型も、、、10000機は作られたエンジンだろうから経済的だったのかも。
このブログはずっと楽しみにしていました。更新が嬉しいです。
投稿: クラウド | 2022年5月30日 (月) 22時38分
クラウドさん、
おっしゃるとおり樹脂成型技術もさることながらこの部位にレジンを使うっていう発想もすごいですよね。コストもそうでしょうがトップヘビーを避ける軽量化のためという意味もありそうです。
素材強度は金属より明らかに低下しますが、すぐ前面には高速回転するプロペラブレードがあるので機銃弾は跳ね返してくれるから被弾破壊の恐れは薄いだろうという考えなのでしょうかね。
ブログをご覧いただき嬉しいです。大きな励みになります。お暇なときにお立ち寄りいただいた際に、新しい記事があるように心掛けていきたいと思いますです。
投稿: Fiby | 2022年5月31日 (火) 06時14分