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2023年9月24日 (日)

黒部下ノ廊下(旧日電歩道)と水平歩道 その2

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なにはともあれ

2日目まずは風呂です

なんとかたどり着いた阿曾原温泉小屋テント場。チェックインでお風呂代金800円は払ってあったのだが到着時は雨が酷くて傘をさして行く気も起きなかった。ただせっかく来たのにこの有名な露天風呂に入らずして帰るわけにもいかない。明け方の午前3時、雨が止んだようなので明りを持って露天風呂へ出掛けます。

まずお風呂に行くためには黒部川へ向かってガレた道を下らねばならない。時間は5分くらいと皆が言っているが夜間濡れたガレ場を下るのには5分では足りない。また帰り道は登りになるので10分は見ておかないといけない。まぁここまで来たのだから楽を望んではいけませんな。

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足元に気を付けながらお風呂に到着。真っ暗ですがだぁれも居なくて貸し切りです。持参した明りがしっかりしていて周囲を照らしているので不気味さも無い。このLEDランタンはテント内照明用に手に入れたものだけど鑓温泉小屋などの野湯でも活躍してくれていて良いギアです。ヘッドライトを頭に付けて風呂に入るなんざ粋な姿とは言えないですからね。

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温泉は白濁しており外湯適温の43度くらいでもう最高ですな。ガタガタになっていた足も温泉療法で50%程回復。でも出たり入ったり30分くらい満喫していたらまた雨が降ってきた。傘はテントに置きっぱなしなので速攻でテントに戻るもまた汗をかいてしまったのは想定外。

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どうせ歩みは遅いので朝食を作ってかきこみ後に撤収を掛け、朝6時前にはテント場を後にしました。本日は最終的に大糸線の終車に間に合えばいいので気が楽です。
上の画像から阿曽原小屋やテント場、温泉の位置関係が分かります。こんなに露天風呂が離れたところに有るとは思いませんでしたねぇ。天候も悪かったので小屋やテント場は空いていましたが、この先紅葉シーズンに入ると猛烈な混み具合になるそうですよ。

2日目はまずテント場から沢底に降りそこから標高差で100m程登って水平歩道に入っていきます。例によってアップダウンはあるものの比較的水平道が多いので軽快に歩けます。軽快と言っても前日の疲労が蓄積しているのでストライドは小さい。またテント泊2日目は消耗品が減るので背中が軽くなるのが常だが雨が浸みたテントや雨具がずっしりと重い。初日より重いのは仕方ないですな。

Seki1 Seki2

堰堤の中をくぐって向こうに出ます。排水穴が詰まるとプールになるそうですが幸いにも水は引いていました。

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水平歩道も下ノ廊下に負けず劣らずの危なっかしさ。えぐり込んだ道に先人の苦労がしのばれます。

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大太鼓の展望台まで来ました。立ち止まるのも危ない展望台ですがここで黒部川との標高差は地形図読みで280mあります。足を踏み外したら黒部川まで一直線ですな。欅平まで5.4Kmの看板表記を見てちょっと安心したりします。

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志合谷の素掘りのトンネルがあります。これが結構長くさらには水が深いところでは10cmくらい溜まっていて防水性能の悪い靴はびしょびしょになるだろうというレベル。私の靴はかろうじてOKでしたがちょっとした洞窟探検の趣。

Suihei

水平歩道が続きます。こんな感じで崖の直壁へ横一文字に続く道をよくぞ作ったものだと思います。
欅平に近づくといったん高度を上げます。

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欅平最高地点まで登り、そこから欅平駅までの標高差300mの下降が特にきつい。欅平駅に続く最後の階段を下りたら今回の冒険の終了です。2日めも12Km歩きました。あぁ疲れた。

Trokko Sinkansen

トロッコ列車や新幹線を乗り継いで22:21に車を置いてある信濃大町へと帰りつきます。念願だった壮大な旅も無事終えることができました。捜索費用300万円が出る山岳保険も入って行きましたが使わずに済んだのも幸い。もう二度目は無いですが最高の経験を積ませてもらいました。黒部のスケール感のある自然もさることながら、ドキュメンタリーでしか知り得なかったかった黒部ダム建設の苦労の一端を自分で目にしてきたのは大きい。確固たる目的と意思を持った人々のみが持つ偉大な力を強く感じました。痛めた体より手にしたものは多かったです。

ただし万人にお勧めできるものでは無いとは言えるかも。危険度が半端ない行程の30Kmを歩き切る脚力も必要です。私は2日間で体重が3Kg近く落ちました。それなりにハードだったのは間違いの無いところです。起点へ戻るためには鉄道路線の乗り継ぎも多く、タイムラインを守らなければならないしお金も掛かります。全てを許容できる人にのみ挑戦権が与えられるような気がします。

で、お土産はこれ。

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暫くは筋肉痛と仲良くしなければならなさそうです。

 

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登山」カテゴリの記事

コメント

願望達成おめでとう御座います。
Fibyさんが疲れた、というほどのアップダウンは無いはずですが、ずっと危険が続くと足腰に負担がくるのでしょうか。危ない道はどの山にもありますがこれほど長くしかもそれが見渡せる所は少ないと思います。ちょうど50年前の学生時代の合宿で、欅平から阿曽原を経て剱岳を登りました。あの時の怖さは今でも鮮明です。横長のキスリングが彫り込んだ歩道の壁に当たるのが怖く、靴紐の緩みが怖くグループでまとまって休める場所も少なく、下級生の様子も見られず、本当に長く疲れる道でした。
帰りの経路も大変でしたね。名物のトロッコ列車はどうでしたか。

クラウドさん、
ありがとうございます。百名山ハーフ、日本で最高峰順に五峰を登る、そして黒部下ノ廊下が私のささやかな山登りの目標でした。最後に残った黒部をなんとかものにしてもういつ死んでもいいくらい嬉しいです。

50年前に水平歩道はすでのご経験だったとのこと。さすが大先輩です。阿曽原から仙人谷を経由して劔へ向かわれたのですね。私にはできない縦走です。劔からはどちらへ抜けられたのですか?

クラウドさんと同じような50年前の私でしたら黒部もっと楽に歩けたと思いますが、今の体力ではまさに限界でした。来年に延期したら多分無理だったかもです。それくらい自分的にはハードだったです。

確かに腰を落ち着けて休憩する場所すら選ばねばならないところはありましたね。対向者とのすれ違いもあそこでは命がけですものね。山岳部では下級生の面倒を見なければいけないし下級生に負けるわけにもいかないしご苦労をお察しします。

トロッコ列車はオープン客車に乗って涼しかったですが1時間半くらいの乗車時間中疲れてずっと寝ていました。その間は宇奈月までの記憶がありません (^ ^)
まぁ紅葉のシーズンもずっと先でしたし、雨で黒部川下流域は濁っていて見栄えも良くなかったので睡魔に譲りました。恐らくは50年前の牽引機関車は今のような箱型ではなく凸型のクラッシックなタイプだったのでしょうね。

驚いたのは帰りの大糸線です。ディーゼルカーの1両編成で始発の糸魚川で乗ったのは3人、終点まで行ったのは私だけという状況。毎年5億円以上の赤字を出している路線ですので廃止にでもなったら私の作戦が通じなくなり、もっと遠いものになったと思います。その意味でも今回歩けたのは大きいです。

筋肉痛もなかなか抜けないのでしばらくは大人しくしていようと思っております。

下山後に車に戻るのも一苦労でしたね。日程に余裕があれば温泉でゆっくりしてから帰れたのでしょうが、現役の方はそういう訳にはいきませんな。ただ疲労回復のためにはハードな毎日は良いのかも。
高専4年生の時の合宿だったのですが、欅平駅、阿曽原、池の平 どこかの雪渓の脇、剱岳往復、雪渓の脇、立山雄山を経てどこか、雲の平を経てどこか、双六小屋、双六小屋で停滞、どこか大きいケルンのある山頂を経て下山、だったような。9か10泊でした。停滞日は槍ヶ岳往復の予定だったのですが、台風接近のため動けませんでした。10代の体力というのは凄いものだったなと今にして思います。最初の水平歩廊と池の平までの登り以外は、楽しさのみの記憶で、疲れはほとんど感じなかった気がします。山と渓谷社のガイドブックが唯一の情報であとは五万図のみでした。
当時、いい思い出を作ったね、と言われたことがありますが意味が分かりませんでした。今になって、いい人生を送らせていただいた事に感謝しています、社会と親に。

クラウドさん、
歩かれたというルートを地図で追ってみました。トータルで行程百Kmは軽く超えていますよね。黒部から劔を登った後に立山から雲ノ平を経由して槍まで狙うというその流れには敬服します。もうさすがとしか言いようがありません。山中10泊ですかぁ。食べ物の調達も大変だったことでしょうね。

それだけの行程を5万分の1地図で行けてしまうのですからそれもすごい。特に北アルプス富山県側は道しるべが非常に少なく長野県側に比べてルートファインディングに難儀しますが、50年前に読図とコンパスのみでそのルートを無事歩かれた登山技術もすばらしい。GPSを持っていてもたまにロストしてしまう自分が恥ずかしいです。

私もクラウドさんはほんとにいい思い出を作られたと思います。いや無事に帰ってこられて良かったですねとも言えるかも。現在のお元気はそんな学生時代から培われたものなのですね。すばらしいです。

わたしも自分で決めたお山の目標も全て達成したので一気に気が抜けました。最近のジム通いもトレランも全て黒部のためにと思ってやってきましたので次の目標を決めないと抜け殻になりそうです。

自分で目標を立てて実行そして達成、これ以上の喜びはおそらく無いのかも🤔。
カミさんに連れられて温泉とか観光とか行くのも楽しくはありますが、達成感は有りませんから。
小さい目標はいかがですか。5年も前ですがしまなみ街道を自転車で完走しました。少しの達成感とグルメその他の手軽な快感はまさにリタイヤ後の楽しみだったです。

クラウドさん、

単独の山行では全ての計画を自らが作らねばなりませんが、その自由度は無限で好きなことができるメリットはありますね。勝手に決めた目標が単に完遂しただけのことですが、目先にニンジンがぶら下がっていないとどうもダメな私です。おっしゃるとおり次は実現可能な軽い目標がいいですね。

自転車も趣味にお持ちなのですね。職場にも自転車好きがいますが、話に聞くとなかなかハードルが高そう。まず我が家には現在自転車が無いという時点で初期投資が必要になります。

ただ新しい分野も興味津々。色々考えてみたいと思います。

水平歩廊で死亡事故がありましたね。
高齢男性だそうですが、黒部に怪我人なし、の諺通りでした。緊張が途切れたのかもしれないとの指摘がありました。そのとうりでしょうが自分の体験から、咳失神、の可能性もあるのかと思います。
アウトドア活動に危険は付き物ですが高齢者になるとどこでも地雷原という状態らしいです。

改めて、おめでとう御座います。

クラウドさん、
また出てしまいましたか。あそこばかりは遭難事故がいつあってもおかしくない場所ですものね。調べると詳細は阿曽原温泉小屋のHPに詳しく載っていました。
https://azohara.niikawa.com/news/2023/10/n20231017b.html

仙人谷ダムから阿曽原温泉小屋の間のサミットにある小さなトンネルの手前でけつまずいた拍子に崖から転落したようです。
私も覚えが有りますがそこは仙人谷ダムからいきなり標高差200mの急登がそのトンネルまで続くところで、ガタガタになった足に鞭打つ最大の難所です。疲労度がピークになるところですので74歳の方には辛かったと思います。団体のツアー客だったそうで他のお客さんにはいやな思い出になってしまいましたね。

私にとっても黒部はほんとにハードな山行でした。しっかり事前のトレーニングはして行ったのですが、あんなにへろへろになるとは予想もしませんでした。急激に体力が落ちたのかと心配になり、今日はお休みだったので1200mのお山に日帰りで登って確かめてきました。いつも通りに登れたのでやはり黒部がきつかったのでしょう。

命あってのものだねです。身分相応にお山も楽しみたいと思います。

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