防衛大学校開校祭 2024
2日めの最終日となった防大の開校祭へ行ってみました。朝早くから行ってもどうかなと思い11時くらいに到着するように出掛けると正門前は大行列、正門バス停前から行列は帰り道へと続いている。どうもこの先でUターンしているようだ。Uターン場所でGoogleマップで調べると正門まで260m、行列の長さは計520mにもなる。40分掛けて入門のボディチェックサイトにたどり着いた。雨が降りそうな陽気なのになかなかの人気なんですなぁ。
敷地内へ入ると各種の屋外展示品が目に入る。戦車や大砲、戦闘機の置物がありますね。今年に全車両が引退した74式戦車もある。スクラップにするならウクライナへ送ってやればいいのにという声もあったがそう簡単にはいかないのでしょうね。
先へ進むと第1空挺団のテントがあった。空挺団といえば陸自のホープ、第2や第3は無く日本では唯一の落下傘部隊だ。アメリカ軍で言えば海兵隊みたいなもので紛争とあらば真っ先に戦地へ降り立つ精鋭部隊だと思う。でもわたくし的には失礼ながらやわらか戦車(YouTube)の歩く暴力装置・鬼塚曹長のイメージが強くていけません。空挺団の乗機C-1輸送機もしっかりこの後の展示飛行で飛んできましたよ。
さて2日めは観閲式を中心にプログラムされている。グラウンドに整列した学生達が捧げ銃(つつ)をする中、中谷防衛大臣が黒塗りの公用車で到着した。彼としては2度目の防衛大臣拝命。防大OBなので観閲をする側になるのは気分も良いでしょうね。でも防大卒業後に陸上自衛官に任官されましたが階級をひとつ上げただけで3年でドロップアウトしているんですよね。
ジープに乗って観閲します。先月大臣になったばかりで多分就任後最初のイベントではないかと思いますがなかなかご満悦の様子。観客席へは車上から手を振る余裕がありました。もうすぐ始まるであろう第二次石破内閣の組閣ではスライドで大臣の椅子はキープできると踏んでの余裕でしょうかね。
この後展示飛行がありました。天気が少しでも悪いと中止になるのですが今回はセーフでした。でも空挺団のパラシュート降下だけは風のため中止となり残念。
トップは木更津のAH1Sコブラがさっそうと飛んできました。光線具合も悪くスマホで航空機を撮るのは非常に難しい。木更津基地のAH1Sはシン・ゴジラの映画では東京に上陸したゴジラに対して初めての攻撃で20mm機関砲を放った機体ですね。
お次はCH47Jチヌークです。陸自でも最大のヘリコプターでオスプレーより大きいですよ。
SH60Jが続きます。海自では艦載の対潜ヘリコプターとして活躍中です。
P-1対潜哨戒機が来ました。このP-1だけ低視認性塗装を施さずスカイブルーの塗色なので曇り空でもよく見えました。
C-1輸送機です。光線具合が良ければ迷彩柄がきれいな機体なんですがね。鬼塚曹長は乗っていないと思いますが降下予定だった空挺隊員は残念だったでしょうね。同じ空でも塗装が違うとこれだけ視認性が違うという良い例ですね。C-1輸送機は2024年度で全機退役の予定です、最後の晴れ舞台でしょうかね。
締めはF-15Jイーグルです。密かにF-35が飛んできてくれるかなと期待していたのですが残念ではありました。展示飛行が終わると部隊行進の観閲となります。
大臣もずっと立ったままで最後まで全学生の行進を見守らねばならないので大変ですね。
その大臣の周囲にはSPがピッタリと取り囲んで目を光らせています。安倍元総理の一件から厳しくなりました。SPは寒いのにスーツのボタンを開放しているので分かりますね。手には直ぐに広げられる防弾カバンを持っています。こちらもご苦労さまです。
学生さんたちは全員自動小銃を掲げていますが防大生も89式小銃に置き換わったようです。一部の陸自以外を希望する学生さんや女子学生にはカッコだけなので木銃床の旧型64式小銃があてがわれている感じですね。
部隊行進が終わると儀仗隊のドリルがあります。防大の儀仗隊は世界的にも評価が高くなかなかの腕前。演技中間部分ですが以下に1分程度に編集してみました。
マーチングの基本ですね。日本マーチングバンド協会のマーチングでは模擬ライフルの放り投げがありますが全日本吹奏楽連盟のマーチングではそれも禁止でさみしいところ。儀仗隊はライフルを手具のように扱いますが絶対に落とさないという安定感がありますね。
4.3Kgもある実銃であるM1ガーランドを軽々と放り投げる演技はなかなかです。演技最後には空砲ですがズドンと斉射するのが実銃たる所以。M1は自動銃なので撃発後はリコイルして空薬莢が飛び出る仕様なのですが演技用のM1はそこを無効化しているようです。
見るものも見たので資料館へ寄ってみます。ここで戦闘飯盒2型を見つけて物欲に火が付いたのははるか昔2008年のこと。その飯ごうは今は下げられていて無かったですがその以前に使われていた標準サイズの73式飯盒が背嚢にくくりつけて展示されていました。こんな風にベルトを通すとは知らなかった。あの金具はなにに使うのか分かっていなかった自分が恥ずかしい。この型の飯ごうは1989年まで使われていたそうでその後に小型になった戦闘飯盒2型へと引き継がれ、今では飯ごうそのものが官給品としては廃止されている。もう飯ごうの時代じゃないんですね。
時折雨が降る肌寒い陽気だったですが学生さんたちの熱気は感じられました。将来の国を守る学生さん達にエールを送りたいと思います、よろしく頼みますよ。
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