草津 重監房資料館
温泉番付で毎回ベスト3に入る群馬県草津温泉郷。インバウンド人気もあってか多くの観光客で賑わっている。そのはずれの地にそれはあった。古くはらい病と言われていたハンセン病は末梢神経が損傷することで顔の筋肉が麻痺し表情が制限され外観が変化することがある病気だ。そんな姿を忌み嫌われ過去日本でも公的に差別され隔離政策が取られていた時期があった。全国に療養所が作られてらい予防法に基づいて多くの方がその意に関わらず入所を強要されたと聞く。旧優生保護法が憲法違反であり国に賠償を命ずる最高裁判断が下されたのは昨年2024年のこと。それより以前の1994年にらい予防法が廃止されて隔離政策は終焉。しかしその歴史のなかで理不尽な扱いを受けたハンセン病患者の一部が収監されていた重監房という施設が草津にあるハンセン病療養所の敷地の外れに過去存在していた。現在その跡地には重監房資料館という施設があり以前より見学したいと考えていたがその機会を今回得ることができた。
特別病室と呼ばれる重監房は病室とは名ばかりで医療行為は全く行われず実質は牢獄のようなものだったという。全国の療養所内には自然とコミュニティができ、その中でも管理者が嫌う過激な思想を持った不穏分子も必然的に生まれてきて抑圧する必要に迫られた。ハンセン病患者は犯罪の嫌疑をかけられても裁判所で公平な裁判を受けることは無く、懲戒検束権を与えられた療養所長の判断でここ草津の重監房に強制的に送り込み懲罰を与えるということが過去頻繁に行われていた。その待遇は過酷で開設されていた1947年までの9年間で延べ収監者数93名のうち23名が亡くなっている。致死率25%だ。この数字はあくまで公式に残っている記録であり重監房の周辺では入ったら最後で生きては出られないというのが通説だったらしい。ポーランドでナチスドイツが開いていた絶滅収容所での行いと時代を同じくして日本でも人種差別ではなく病人差別ともいうべき実体があったことになる。私が知ることのなかった歴史がそこにあった。
資料館では資料以外の撮影許可を貰った。最初に20分ほどの資料映像を見て予備知識を得てから展示を拝見する。インパクトがあるのは原寸大で再現された重監房の一部だ。一日に2回出されたという麦飯の食事も心が痛む。冬場にはマイナス17度にもなる草津でせんべい布団2枚の生活はさぞや辛かったことだろう。人形を使った再現もあった。私だったら3日と持たないだろうと思う。
日本の負の歴史の一部をしっかりと後世に残してくれている資料館だった。部落差別、旧優生保護法、そしてハンセン病隔離政策、今を生きる私たちが知っておくべき過去にあった差別の歴史は少なくない。過去の事実に蓋をすることはできないものだ。観光客で賑わう草津の湯けむりの向こうにはこんな歴史があったことを忘れないようにしたい。
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